木いちごの心臓(市村圭様)

ゲームセンターにまつわる創作短編集「Home.++」収録の小説です。

ゲストとしてご寄稿いただきました市村圭(@kei_conv)様の作品「木いちごの心臓」サンプルです。お話の導入部分を掲載させていただいています。私たちの世界とよく似ているどこかの世界のeスポーツ×音ゲー×SFストーリー。

 

六.

 辺りは静かな熱に満ちていた。
 国際展示場の一棟、広さは学校の体育館の十倍以上もあるだろうか。その短辺の一つに接する出展ブースに、観衆の人垣に囲われた無人のステージがある。舞台の裏手に設けられた出場者の待合スペースにはモニターが据えられ、イベントのネット配信が映し出されていた。
 壇上に並べられた背の高い二台のアーケードゲーム筐体を、背の高い業務用スタンドに支えられたスポットライトが明らしめている。スピーカーを囲うステンレスの骨組みに照り返されていた強烈な白色、その明かるみが不意に消え、一帯のざわめきがふっと静まる。
「2024年12月24日。ついに時は来た。BBTR2024決勝大会、最終決戦……」
 司会の前口上、明らかにこの類の芝居がかりを生業とする、よく通る声が音響システムを通して広がる。ゲームの大会にプロの司会進行を呼ぶのは普通のことなのだろうか。業界に疎い上にこのゲームのプレイヤーですらない、出場者の付添人に過ぎない私には、そんな表層すら判別できない別世界。けれど、この場はビデオゲームの大会であり、それでいて最早ただの子供の手遊びで済まされる現象ではない、これは少なくともその傍証ではあるのだと私は理解する。
「……一万六千人のエントリー。そこには幾たびの戦いが重ねられただろうか。幾人の敗者が生まれただろうか。この場に立つ二人は、どれほどの事情を、どれだけのプレイヤーの想いを、その背に負ってきたのだろうか。しかし勝敗はゲームのルールで決まり、背景では決まらない。あるトッププレイヤーは言った、『それぞれの事情をぶつけ合って、スコアが高いほうの勝ち』と……」
 プロレスの入場シーンを思わせる煽り文句が続いてゆく。ミヤコは私の隣、待合スペースのパイプ椅子に座って出番を待つ。胸に一台のタブレット端末を抱え、アリカ、と私の名前を小声で呼んだ。私は彼女の背丈まで屈んで、その小さな右手を取って握った。大丈夫、怖くない。
「それでは選手の入場です。BBTR五連覇。絶対王者、時代の言語、ハルヤ!」
 お先にね、と言い残し、男性プレイヤーが待合所の出口へ向かう。私たちの視界から離れてステージに姿を見せると、パーティションボードの向こうから歓声と拍手が巻き起こった。やや間を置いて次のコール。
「続いては、王者を打ち倒せるか。十五歳の超新星、異邦のシューティングスター、ミヤ!」
 スコアネームを呼ばれた彼女は、その小さな心臓の送る血液で顔を紅潮させながら、私の手をすり抜けて一歩を踏み出した。小さな背中が出口に消え、あとは見守ることしかできない。祈るように食い入ったモニターの向こうで、ミヤコは緊張の面持ちのままステージに現れる。先ほど司会が叫んだキャッチフレーズは、彼女のゲームセンター仲間たちが考えてくれたもの。ちょっと子供じみているかと思ったけれど、ハルヤというプレイヤーに比する勢いの拍手が沸き、この場からは好意的に受け止められたようだ。
 簡単なインタビューを済ませ、二人のプレイヤーは筐体に向かった。ハルヤはイヤホンを耳にはめ込む。ミヤコは小さな頭に無骨なヘッドホンを被り、タブレットを専用の台にセットした。
「さあ、ハルヤ選手はスライドバーに手を這わせて、アクティブデモで判定を確かめている。一方のミヤ選手はタブレットを繋いで、それぞれ試合の準備を進めております。解説のヨータさん、これはプレイスタイルの違いですね」
 ステージからは直に、そして音量を絞ったモニターからは配信のディレイを伴って、アナウンスが二重に聞こえてくる。運営スタッフが気を利かせて、モニター側の音量を大幅に絞ってくれた。
「そうですね。このゲームは皆さんご存知の通り、筐体据え付けのスライドバーでプレイすることもできるし、自分のタブレットを繋いでコントローラーにもできます」
「今回初出場のミヤ選手はタブレット派のようです。かなり小さいですね。一見では窮屈にも思えますが」
 ミヤコが愛用する、裏面にサンリオのキャラクターシールがぺたぺたと貼られたタブレット端末。もともとは学校教育用の、安価な子供向け機器であることを私は知っている。
「あの端末はミヤ選手のシンボルです。五年ほど前の古めの型で、有志の検証によれば遅延がそれなりに発生してしまうんですよ。それでも使っているのは、彼女はアプリ版出身なので元々のサイズに慣れているのと、特定の遅延に判定を慣らしているからプレイフィールを変えたくないのでは、というのがもっぱらの推測ですね」
「一方のハルヤ選手は持ち込み機器なし。わたくし司会は三年目となりますが、ハルヤ選手も昨年まではタブレットを持ち込まれていたと記憶しております」
「ハルヤ選手も旧アプリ版からのプレイヤーですからね。ずっと設定を引き継いで使っていたんですが、ある非公式大会で敗北を喫したのをきっかけに、プレイスタイルを大改造したんですよ。基本的にはスライドバーのほうが面積が広いぶん、運指の自由度もあってプレイはしやすいんです。ハルヤ選手も移行直後にはスキルがかなり落ちたんですが、二ヶ月程度で以前を超えるレベルにまで仕上げてきました。今のハルヤ選手は、彼のプレイ歴の中でも最強ですよ」
「なるほど。おっと、そろそろ準備ができたようです。それでは皆様、画面にご注目下さい。各選手が選んだ課題曲が発表されます」
 試合に臨もうとするモニター越しの現場。その風景がさらに熱を帯びてゆく一方で、私の脳裏は氷水に漬けられたように現実感を失ってゆく。
 ミヤコ、どうか負けないで。あなたが勝ちたいと願うならば。
 その想いは血液と心臓を介して全身を巡り、やがて現実から遊離して全ての発端に遡ってゆく。始まりは五年前、2019年のこと。高級住宅街で見かけた、一枚の張り紙だった。

一.

 家政人急募。主な業務は雇用主の個人宅の定期清掃、洗濯、ベッドメイク、食事の作り置き、郵送物・宅配便の受け取りと整理。その他付帯業務。経験者求む。細面。
 委細面談を細面と略すのは、クラシカルな三行広告の流儀だ。金払いの良い年嵩の男性をイメージして申し込んだ面接の当日、家主のカイリという女性から伝えられた条件に、私は率直に当惑を示した。
「子守り、ですか?」
 貿易会社の常務だという彼女は品の良い腕時計をちらりと見、私の困惑も素知らぬ顔で、あと三十分で決めましょう、と切り出した。
「アリカさん、あなたはニュースを毎日チェックするタイプ?」
「ヘッドラインを読む程度です。Googleニュースで」
 私は正直に答える。
「それで十分。今年の春に騒がれていた、改正リフシッツ法の話は目にしているでしょう」
 2019年、望まぬ事情により海外からやってきた、十二歳未満の子供たち。その受け入れのために引っ張り出されたのが、旧世代の忘れられた法律、改正リフシッツ法。特定地域の裕福な世帯から養父    性別にかかわらずそのように呼ばれる    が抽出され、強制的に養育の義務が割り当てられる。
 カビの生えた条文の強引な解釈と適用により、現代の価値観との齟齬やそもそもの是非が侃々諤々の議論を呼んでいる、という話は聞いていた。とはいえ、事態はごく一部の恵まれた家に降りかかるもの。私のようなその日暮らしのフリーターには、とうてい縁のない世界の話だと思っていたが。
「もしかしてカイリさんはそれに」
「そう。あの抽選対象は世帯収入と総資産から機械的に抽出されて、一人世帯でも例外じゃなかった。一週間前からひとり、うちに来てるの。いまは小学校に行ってる時間」
 急な話で人材エージェントにも登録が間に合わなくて、とカイリは言う。
「どんな子ですか」
「名前はミヤコちゃん。十歳で、言葉はまだあまり通じないの」
 ミヤコとは耳慣れない名前だ。あちらの国の言語では「首都」「都会」「皇宮」などの概念を表す名詞なのだとカイリは説明した。
「すぐには仕事から離れられなくて、これまで使用人も雇ってこなかったから、十分に彼女の相手をしてあげられてない。この一週間は在宅勤務に切り替えてなんとか頑張ってたけど、職域的にオンラインだけでは進まない案件が多くて、もう限界だったの。アリカさんが来てくれるなら、私はとても助かります」
「それで、私は具体的になにをすれば」
「在宅勤務をやめて出社体制に戻ったら、私は基本的に朝から真夜中まで仕事で出ずっぱりだし、海外を飛び回って帰らない期間もある。ミヤコちゃんの生活を支えながら、彼女の望むようにしてあげて。そのほかは募集要項に書いた通り、私の家のことを色々とやってくれればいい」
 バイトを渡り歩いて、この仕事に必要な技能は身に付いているという自負はあった。ホテルの客室係兼雑用、食事宅配業者の調理担当、人気文芸家の雇われマネージャー補助、デザイナーズマンションのコンシェルジュ見習い。ある程度時間の自由が利いて、得意も活かせる。結局私は仕事を引き受けることにした。
 受けると決まれば話は早かった。仕事の範囲と頻度、カイリとミヤコちゃんの食事の好みと必要量。自治体のゴミのルールと近隣の地図。郵便物の仕分けと開封のルール。買い物の決め事。国から支給された、改正リフシッツ法に基づく児童の受け入れマニュアル最新版の引き継ぎ。
「家の中にあるものは全て無断で使って構いません。専用の口座は作っておきました。いくらかお金が入ってるのと、国からの補助も毎月振り込まれることになってる。カードと暗証番号は後で渡すから、家のことやミヤコちゃんのための買い物があったら、そこから必要なだけ使って。領収書はあとで処理するからファイリングしておいてね。他に質問は?」
 確認事項もろもろを経て、契約書へのサインまできっかり三十分。提示された月給はこれまでの掛け持ち仕事の総計と同じくらいで、家賃と光熱費が無料と考えれば余裕でおつりが来る。私は早速それぞれのバイト先に辞意の連絡を入れた。それと、手持ちが尽きてネットカフェを追い出された宿無しの私を、これまで厚意で泊めてくれていた友人にも。
 私には帰る家がない。ミヤコちゃんが寂しくないようにと、泊まり込みでの仕事を提案してくれたのはカイリのほうで、それは私にとっても願ってもないことだった。
 ミヤコちゃんが帰ってくる前に、バイト先に備品を返しつつ、友人のところからなけなしの荷物を引き取って来なければ。

   *****

 十歳の子供というのは、こんなに幼かっただろうか。
 ミヤコちゃんは、役所の担当者の車に送られて夕方に帰宅した。まだ受け入れが始まったばかりということもあり、放課後には週に二回ほど、役所との面談が設定されているのだという。彼女の細い肩まで伸びた髪は整えられておらず、服のサイズも本人の成長に置いていかれてやや窮屈。私はさっそく脳内のカレンダーに、ヘアサロンとH&Mのツアーを追加した。
 カイリの言葉を借りれば「もらった」のだという、ひとり暮らしには広すぎる家。カイリがまるまる持て余していた二階、私に割り当てられた一室の、その隣がミヤコちゃんの部屋だった。
 敷きっぱなしの布団。学習机と椅子のセット。わずかな衣類が納められたプラスチックの衣装ケース。それに、学生鞄を兼ねたリュックサックが一つ。以上がミヤコちゃんの所有物の全て。
 そもそもミヤコちゃんは、この国の国語教育をまだほとんど受けていない。学校に放り込んで勉強をさせようとしても、教科書を読むこともできないだろう。不思議に思っていると、
「これ」
 ミヤコちゃんは旧式のタブレットを差し出した。国内メーカー製で、原色のフレームの周囲に軟質プラスチックのクッションが付いた無骨なフォルム。いかにも子供向けの教育用端末といった趣だ。私はカイリの言葉を思い出していた。
『学校には通わせるけど、まだ受け入れ体制が整ってないから十分な教育が与えられない。足りない部分はこれで自習してね、ってことらしくて。制度の付け焼き刃が丸見えで、呆れちゃうでしょう。分かる範囲でいいから、使い方を教えてあげて』
 彼女は翻訳カメラのアプリを起動して、端末を社会科の教科書にかざした。国の裁判制度について書かれたページをカメラに通し、画面に映し出された言葉は、アプリの機能で彼女の国の言葉に変換されている。私よりもよほど性能を使いこなしているらしい。
 もちろん認識に限界はあるだろうし、タブレット端末のカメラを使った翻訳機能では、その端末自体で起動する学習アプリの文章は翻訳できない。幸いにして、カイリに頼まれた家政さえ果たせば、空き時間の使い方は自由になっている。家庭教師の経験はないけれど、真似事くらいはしてみよう。
 ミヤコちゃんはまだ単語でしか言葉を話せない。なにか工夫はできるだろうか? 壁に二つの言語の対応表を作って、指差しで会話ができるようにしながら、言葉を覚えてゆくヒントを増やしてゆくとか。図書館に連れて行って、私の好きな児童書を読み聞かせてみるとか。あるいは逆に、私が彼女の国の言葉を少しでも覚えてみるとか。
 どんなやりかたが彼女には合っているだろうか。不安はあるけれど、やってみたいアイデアはいろいろと湧いてきた。

(続く)

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