「花束みたいな恋をした」感想

こんにちは!矢澤です。

普段邦画も恋愛映画もほとんど見ないのですが今回は「花束みたいな恋をした」の感想文です。

男女間の恋愛模様だけではない、人と人とが寄り添って一緒に生きていくことの難しさや若者が生きていくことに対して感じる小さな苦悩の積み重ねのようなものがとても丁寧に描かれていて、ひとえに「恋愛映画」というジャンルにカテゴライズするには惜しいと感じる深く素敵な作品でした。

 菅田将暉演じる「麦」と、有村架純演じる「絹」。世間や大衆というものに対して少し違和感を感じながら斜に構えて生きていて、「自分の世界」を持っている、そしていわゆる「サブカル趣味」な二人。そんな彼らが偶然出会って意気投合し、恋をして別れるまでの、大学生〜社会人の5年間を描いたお話です。

 

カテゴリーとしては恋愛映画であり、お話の主軸も男女二人の恋愛模様を通して進みますが、恋愛だけではない、少しだけオタク気質で世間に対する馴染めなさを感じながら生きている若者の心理描写や価値観の近い人間同士が出会って分かり合う喜び、学生から社会人になる期間の子供と大人の中間のような人生の濁流の時間、それに翻弄されることによって自分のいちばん大切なものを見失う苦悩など…現代を生きる若者たちの感情の機微が非常に繊細に描かれています。

 

人々は生きていく以上どうしても大人になっていくし、人生に於いてライフステージというものは否応なしに進んでいきます。その中でどうやって生きていくのか、自分の力で(或いは、誰かと共に)生活していくことについて、そしてこれからも続く長い長い将来のことなど、いつか必ず、そして何度も向き合うことになります。

その時々に応じて、自分にとって一体何がいちばん大切なのかもきっと変わっていくでしょう。

 

お話の中で、特に社会人になってからの麦くんは自分にとって何がいちばん大切なのか見失っていたように思います。映画を見ている私たちにも麦くんが一番守りたいものが何なのかわからなかったし、きっと麦くん本人にも分からないのです。そこが非常にもどかしく、またリアルだなと感じました。学生〜社会人数年目のちょうど麦くんと同年代の若者たちの中には、同じように「今の自分は何をいちばん大切にしたいのか」を見失い、生き方について苦悩している子が多いように思います。

 

麦くんの「いちばん大切なもの」になり得るであろう候補はいくつもあります。

 

たとえば、学生の頃大切にしていた読書や観劇、映画鑑賞、そして仕事にしたいとまで思っていた絵を描くこと。ひとくくりに「趣味」としてしまってもいいかもしれません。劇中の麦くんは仕事が忙しくなるにつれ、趣味を楽しむ時間も精神的余裕もなくなっていました。

もしくは、ずっと一緒に暮らしていきたいと思っているはずの最愛の恋人である絹ちゃんの存在。絹ちゃんとの生活を守るために始めた仕事のはずが、やはり忙しさの中で矛盾やすれ違いが生まれてしまいます。趣味を通じて仲を深めた間柄であったからこそ、そのすれ違いも大きかったように思います。

そして、一見麦くんのつまずきの原因にも思える「仕事」ですが、これも「いちばん大切なこと」の選択肢になり得るものです。大抵の人は生涯のかなりの期間を仕事と共に生きることになりますし、麦くんも「仕事は大変だ、生きていくために仕方なくやっていることだ」と言いながらも、少なからずやりがいや意欲はあるように見えました。

 

一方絹ちゃんの方が、どちらかというと「今の自分にとっていちばん大切なもの」をしっかり自覚しながら生きているような印象がありました。彼女の生き方は少し「今」を生きすぎていて、とりあえずの仕事と、あとは学生の頃からの変わらない趣味を継続している。麦くんが「いつまで学生気分なんだろう?」と思ってしまう気持ちも少し分かります。だけど彼女にとって、「今」を当面の間楽しく維持して、好きなものを継続する、ということが何よりも大切で、将来というものはあまり大切ではなかったのでしょう。

それに(結果的には別れることになってしまったけれど)自分が稼げない分を他人と生活を共にすることで補う決断ができる、というのはそれがひとつの才能であると私は思っていますし、彼女には決断力や行動力、社会性がきちんとある人物像に見えたので、きっとなんだかんだしっかりやって生きていけるんだろうな、という安心感もありました。

 

結果的に見失うことになってしまった麦くんのいちばん大切なものが、どれだったとしても間違いではないように思うのです。ただそれをじっくり考えて見極め、向き合うことができず、あるいはその余裕すらなかったことで、二人はすれ違い、そのまま別れることになってしまいました。それは二人の性格の不一致や価値観の相違というよりは、余裕のなさや若さ故なのではないかと強く感じます。それでもこの二人はこの若い二人であるタイミングで出会い、恋をして、だからこそ別れて生きていくという現実が残った。

人と人とが寄り添っていきていくことの難しさや尊さ、繊細さが非常に美しく描かれていました。

 

きっと最後に別れを決意してお互いの気持ちを語り合ったあの局面で、もう一度一緒に暮らしてみようと覚悟することが出来たのなら、二人は「家族」になれたでしょう。互いが人生を共にし、本当の意味で支え合う間柄。でも出来なかった。彼らは(特に絹ちゃんは)恋人同士であることを望み、それがもう叶わないと気付いたから、別れを選択した。現代社会では概ね「恋愛」と「家族を形成すること」が同一視されていて、その構造のいちばんの難しさに麦くんと絹ちゃんは向き合ったのだと思います。

 

絹ちゃんが二人の生活を守るために麦くんの仕事を支えて応援する決意が出来ていたとしたら?或いは二人の時間や麦くんの余裕の為に転職を勧め、その間自分の稼ぎで支えていくと提案することが出来ていたら。

麦くんが今は仕事を頑張りたいと絹ちゃんに伝え、支えてくれとお願いすることが出来ていたら。もしくは趣味の時間や絹ちゃんを大切にする余裕すらない仕事に疑問を持って、それを改善するための転職などの手段を検討することが出来ていたら。

彼らの間にはたくさんのifがあって、きっと上手くいっていた未来もあったはずで、でも最終的には叶わない。劇中の二人も「上手くいっていた未来」その可能性に気付いていたことでしょう。

 

選べたものと、選べなかったもの。それぞれが二人のあいだにはたくさんあって、「別れ」は二人が選べたものでした。だから最後には一種の爽やかさのような、寂しさや悲しさだけではない清涼感が残るお話になったのだと思います。

 

男女の恋愛だけではない多角的な深みのある作品ですが、もちろんシンプルな恋愛映画の甘酸っぱさや幸福感も彩り豊かに描かれていて、また演出や画面構成も非常に現代的で洒落ている、エンタメとして素直に楽しむことが出来る作品でもあります。特に時の流れを表現するために過去の構図とオーバーラップしたシーンが何度も登場するところなど、とても垢抜けた表現だなと感じました。

 

ひとくくりに「邦画の恋愛映画だからなあ…」という印象のある方や、ちょうど成人前後くらいで生き方に少し違和感や悩みを感じている方にこそ、見てもらいたい作品です。

小説を一本読んだあとのような、深い満足感を味わえると思います。

 

 

今日はこんな感じで!ではまた〜。