星の灯台(小説)

ゲームセンターにまつわる創作短編集第二弾「Home.++」収録の小説です。こちらはサンプルページで、お話の半分ほどを載せています。

世代を超えて受け継がれるもの、続いていく場所。変わるものと変わらないもの。テーブル筐体と喫茶店のお話です。前作「Home.」収録作品「天使の約束」のifでもあります。

 

***

 

 コーヒーの匂い。

 食器を洗う音。

 レコードプレーヤーから流れる耳触りの良いジャズ。

 淡いオレンジ色の電球が照らす店内。

 


 「あぁあっ! また3面でやられたーっ!」

 


 ……これは私の声。

 ここは商店街の一角で穏やかな時間を紡いでいるレトロな喫茶店「星の灯台」。カウンターの奥で食器を片付けている黒縁眼鏡の男性はこの喫茶店の店主であり、私のパパの弟……つまり叔父さんだ。七軒千紘(しちけんちひろ)、私と同じ苗字の彼のことを、私は「千紘くん」と呼んでいる。3面でやられたという私の悲痛な叫びに対して、千紘くんがふふと小さく笑ったのが聞こえた。

 千紘くんは私が幼い頃からよく遊び相手をしてくれて、叔父さんと言うよりは歳の離れたお兄ちゃんのような存在だ。千紘くんは私のことを昔から「チカ」と呼ぶ。七軒千歌恵(しちけんちかえ)、それが私の名前だ。

 星の灯台にはひとつだけ特別な席がある。全席禁煙の店内で唯一、ほんの微かにタバコのにおいが染み付いたテーブル。天板の中、中央部分で無骨な光を放つブラウン管には今まさに「GAME OVER」の文字が点滅していて、私は悔しさをぶつけるようにテーブルの手前に付いている丸いボタンを連打する。この席のテーブルは、画面とボタン、それに古めかしいシューティングゲームが組み込まれているいわゆる「テーブル筐体」と呼ばれるアーケードゲーム機だ。パパやママ、千紘くん達がまだ私くらいの年齢だった頃に社会的ブームを巻き起こしたそれは、かつては全国の喫茶店やゲームセンターに当たり前のように存在していたらしいけれど、今ではほとんど見かけることは無い。

 星の灯台に置かれたこのテーブル筐体は、千紘くん達が実際に子供の頃に遊んでいたものを、当時の設置店舗だった喫茶店の店主から買い取ったのだそうだ。

 この場所は星の灯台になるずっとずっと前から喫茶店だったらしい。「カフェテリア・天国」という名前だったその喫茶店はパパとママが出会うきっかけになった場所で、両親と千紘くん、そして両親の友人たちにとってとても大切な思い出の店だった。だけど長年カフェテリア・天国を経営してきた店主も寄る年波には勝てず、まもなく閉店。しばらくして、大人になった千紘くんが同じ場所に喫茶店を開いた。みんなの思い出の場所をどうしても復活させたくて、頑張って始めたのだそうだ。カフェテリア・天国で稼働していたテーブル筐体のひとつと喫茶店という空間を、同じ場所で千紘くんが受け継いだ、というわけ。

 星の灯台のテーブル筐体では、千紘くん達が子供の頃に熱中したシューティングゲーム「スタァファイト」、通称「スタファイ」をプレーすることが出来る。料金は「飲み物一杯につき最大2プレー」。カフェテリア・天国時代の味を受け継いだ千紘くんこだわりのブレンドコーヒーはもちろん、コーヒーが飲めない人は紅茶やソフトドリンク、ホットミルクなどでも可だ。

 スタファイをプレーしたいお客さんは、テーブル筐体の席に着き千紘くんに飲み物を一杯注文する。すると千紘くんが注文の品を用意した後クレジットボタンを操作してくれて、そのまま席でゲームを楽しめる。

 星の灯台には飲み物の他にオムライスやナポリタン、トーストなどの軽食や喫茶店定番の「固めプリン」なども揃っていて、どれも優しい味わいが自慢の人気メニューだ。だけどスタファイのプレー権はあくまでも飲み物類のオマケなので、そこは注意しなければならない。

 もちろん私も、店主が親戚だからといってタダでスタファイを遊ばせてもらえる訳じゃない。高校一年生という今の私の社会的責任の範囲で保護者から支給されるお小遣いから、きちんとコーヒー代を捻出している。もしくは食器洗いやお店の留守番、おつかいという労働の対価として千紘くんからコーヒー一杯無料券が支給されることもある。これに関しては少し「親戚特権」が含まれているかもしれないが、とにかくコーヒー無料券でもスタファイで遊ぶことが出来るのだ。

 星の灯台は地域の人々からは「憩いの場」として、そして一部のマニア層からは「レトロゲームが現役で遊べる珍しい喫茶店」として、今日も愛されている。

 私の物心がつく少し前に千紘くんが星の灯台をオープンして、小さい頃から両親に連れられてよく訪れていたことを覚えている。もちろんオープン当時からこのテーブル筐体もスタファイも、星の灯台の景色の中にあった。その為に店を始めたようなものだと、いつか千紘くんも言っていた。私がこの古めかしいゲームの魅力とコーヒーの美味しさに気づいたのは、一体いつからだっただろう。

 パパとママが家でゲームに熱中しているところは見たことがないし、私も正直、特別に「ゲームが好き」という訳ではない。たまにママが物珍しさから流行りのパーティーゲームを欲しがって、その結果最新の家庭用ゲーム機が我が家にやってくることもあったけれど、それらもいつの間にか誰も遊ばなくなって、押し入れの奥に仕舞われていった。

 だけど星の灯台に置かれたテーブル筐体は私にとっていつも不思議な存在感を放っていて、小さい頃からずっと「触ってみたい、ボタンを押してみたい」と思っていたような気がする。初めてスタファイに触れたのは多分小学二年生くらいの頃、ママに試しにやってごらんと言われたのがきっかけだ。「START」のボタンを押したその瞬間、私は荒いドットの宇宙を駆ける戦闘機のパイロットになった。わけもわからず連打したボタンと、ブラウン管にギラギラと映し出される無骨でビビッドな宇宙。古い技術だと幼心にも分かったのに、その最低限の情報で描き出された世界は何故かポップで可愛くて、惹き込まれた。 

 それでも中学の頃まではスタファイはあくまでもたまの気分転換で、1〜2面をいたずらに飛び回ってすぐゲームオーバー、が常だった。古いゲームは挙動がシビアで難しい。それにここしばらくは高校受験を控えていたこともあり、スタファイはお預けだった。けれど受験を終え新しい学校での生活にも慣れてきた頃、私は何故か再びスタファイの世界に惹かれた。結局、かつての両親たちと同じように、私もこのゲームに夢中になっている。

 星の灯台のスタファイに記録されているハイスコアランキングはカフェテリア・天国時代から引き継がれていて、かつてカフェテリア・天国でスタファイを遊んでいた誰かの名前が今でも表示されている。誰もがスタファイに熱中した時代に築かれたスコアは凄まじく鍛え抜かれたもので、私の覚えている限りでは名前の並びが変わったことはなかったように思う。今のスタファイはコーヒーのお供、或いは私のような若者のちょっとした遊び、或いは誰かの思い出で、スコアを塗り替えられるほどのスーパープレーを披露するプレイヤーが現れるなんてことは滅多に無いのだろう。一番下から上位十番目くらいまでは同じ人の名前が入っていて、7HALという人。この人も私からすれば相当上手いけど、いつか追いついて名前欄をひとつ奪ってやると密かに思っている。そこから更に上のベスト10には数人の名前が入っていて、FUYU、104、CHIE、KYOKなどの名前が並ぶ。ランキング一位の104さんって、一体どんなプレイヤーなんだろう。名前の読み方が分からないので、私は勝手にトシさんと呼んでいる。FUYUはパパたちのお友達の冬川さんだと思うよと千紘くんが教えてくれたけど、他の人はどうだろうねえと言って教えてくれなかった。まあ、千紘くんだってこのスーパープレイヤーたち全員を知っているわけではないだろう。

 いつか私も、この何処かの誰かが並ぶハイスコア記録に「TIKA」の名前を並べたい。そう思ってはいるものの、やはりいつも3面や4面辺りの中盤でゲームオーバーになってしまう。昔のゲームって、なんでこんなに難しいの!

 


***

 ある日の放課後、星の灯台に行くとテーブル筐体の席に見慣れない男性客が座っていて、千紘くんと談笑していた。人の良さそうな雰囲気をしていて、年齢は恐らくパパと同じくらいだろうか。どこかで見た事のある顔のような気もするが、いまいちピンと来ない。

 私に気付いた千紘くんがぱっとこちらを向く。

 


 「ああ、チカ、おかえり。なあ、このおっさんのこと覚えてる? 冬川くん。兄さん達の友達の。チカが小さい頃遊んでもらってたけど、もうけっこう前だから分かんないかなあ」

 


 その言葉で思い出した。パパの同級生、冬川さん。私が小さい頃にたまに家に来て一緒に食事をしたり、冬川さんの奥さんや千紘くん、それに私たち家族も合わせてみんなでドライブに行ったりして、その度に遊んでもらった記憶がある。たしか私が小学生の頃辺りから、ずっと都会へ単身赴任をしているんだったっけ。

 


 「冬川さん! お久しぶりです、千歌恵です」

 


 私の言葉を聞いた冬川さんは、ぱっと顔をほころばせて立ち上がり、一気にまくし立てる。

 


 「え、千歌恵ちゃん!? わあ、本当に久しぶり! しばらく見ないうちに大きくなって……。制服ってことは、学校帰り? 今高校生? いくつになったの?」

 


 「今年から高校一年生になりました。十六歳です」

 


 「はぁ〜、そうなんだ、千歌恵ちゃんももう高校生か。あんなにちっちゃかったのに。時の流れは早いなあ……。そりゃ俺も千紘もジジイになるわけだ」

 


 「いや、俺は冬川くんより若いからね!? 一緒にしないでくれる!?」

 


 「大して変わんねーだろ! 千歌恵ちゃんから見たら全員ジジイだって。なあ?」

 


 「え、ええ……?」

 


 なんと返せば良いか分からず思わず口ごもると、千紘くんも冬川さんもそんな私の様子を見てわははと笑った。久々の再会にも関わらずフレンドリーに接してくれる冬川さんに嬉しさを感じつつ、こういう意地の悪い絡み方は確かに「オッサン」だ! とも思ったけれど、それは口には出さないでおくことにした。

 


***

 


 「チカ。冬川くん、しばらくこっちにいるみたいだし、せっかくだからスタファイ現役時代のプレイヤーのテクニックでも教えてもらったら?」

 


 冬川さんと千紘くんとの昔の思い出話に一区切りがついた頃、話題は自然にスタファイのことへと移っていった。

 冬川さんや千紘くんが私くらいの年齢だった頃から、今でもこの場所でスタファイがこうして現役稼働していること、そして現代の高校生である私も同じようにスタファイに夢中になっていることについて、冬川さんは少し大袈裟に見えるくらい感激していた。私は、そういえば冬川さんは昔から感情表現の大きい人だったなということを思い出していた。

 


 「テクニックって言うほど俺は別に上手かったわけじゃないけどな。まあ、さっきも久々にしては割と覚えてるもんだなとは思ったから、ちょっとくらいならって感じだけど」

 


 「いやいや、あの時『カフェテリア・天国』店内のスコア上位争いをしていた男が何をおっしゃいますか。今でも冬川くんの名前がハイスコアランキングに入ってるんだぜ? それにチカはいつも3面とか4面でゲームオーバーになっちゃうもんな」

 


 「え、そうなの? 名前、まだ残ってるんだ。俺けっこうやるじゃん」

 


 「FUYUっていう名前がずっと残ってますよ。ていうかこのゲーム、3面の中盤辺りから急に難しくないですか!? 冬川さん、スタファイって何かコツとかがあるんですか?」

 


 これはスタファイに限らず昔のアーケードゲームではよくあることらしいが、ある程度までゲームが進むと、それまでとは打って変わって突然に難易度が跳ね上がる。まるで「今までは『おためし版』です」とでも言わんばかりに、容赦なくシビアな攻撃が始まるのだ。

 


 「あ〜、なるほど。昔も3面で詰まってる人がよくいたなあ……。よし、そういうことならこの冬川先生が千歌恵ちゃんを『スタファイの最終クリア画面』まで導いてあげよう! 千歌恵ちゃん、特訓の覚悟は出来てるかな?」

 


 確かスタファイは全10面構成、私は半分も到達したことがない。それにもちろん、私が苦手な3面以降も更に難しいステージが用意されているに違いない。そんなゲームの最終クリア画面なんて、果たして本当に見ることが出来るのだろうか。

 


 「わ、私にもスタファイってクリア出来るのかな……!? ゲームってスタファイ以外は全然やったことないから得意じゃないし、ビジョンが全く見えないんですけど……」

 


 恐る恐る聞いてみるけれど、冬川さんは相変わらず自信たっぷりの表情を崩さない。

 


 「まあ確かに難しいゲームだけど、さっき千歌恵ちゃんが言ってたみたいに『コツ』みたいなのもあったりするからね。千歌恵ちゃんはまだまだ若いから吸収力あると思うし、きっと出来ると思うよ」

 


 「そ、そうかな……? じゃあ冬川先生、よろしくお願いします! 私もスタファイ、クリアしたいです!」

 


 「よっしゃー! 大丈夫、千歌恵ちゃんならすぐ行けるよ!」

 


 パパやママ達も、子供の頃はこうやって店内でみんな一緒になってスタファイで遊んでいたんだろうなとふと考えた。家族でお店に来る時は千紘くんを交えてお喋りに花を咲かせることが多いので、パパやママと一緒になってスタファイで遊ぶことは全く無いと言っても過言ではないし、私はこれまでほぼひとりで黙々とこのゲームで遊んでいた。

 私がもっと上手になって友達にもこの古いゲームの楽しさを教えられるようになったら、今度は私も誰かと一緒に遊びたい。そんなことを初めて思った。

 


 「じゃあ千紘、さっそくコーヒー二つ。千歌恵ちゃんには俺が一杯おごるよ」

 


 「やった! ありがとうございます」

 


 「はいはい、コーヒー二つね。あ、そういえばさっき兄さんから連絡が来てて、仕事が終わったら詩織さんと一緒に店に来るって。冬川くんが来てるって伝えたら会いたがってたよ。せっかくだからみんなで晩ごはんでも食べようよ、実柑さんも呼んでさ」

 


 「お、いいね! みっちゃんに連絡しとくよ。千春も詩織さんも、久々に会うから楽しみだな〜」

 


 当たり前だけど、私はパパやママのことをパパ、ママと呼ぶ。一方、「パパの弟」である千紘くんはパパのことを兄さんと呼ぶし、「パパの友達」である冬川さんはパパのことを下の名前の「千春」と呼ぶ。それぞれの立場によって相手の呼び方が変わるのが小さな頃から少しむず痒いというか、変なの、と思っていた。当人たちからすれば何もおかしいことは無いのだろうけど、これは子供の立場である私だからこそ感じるむず痒さなのだろう。

 ちなみに「詩織」は私のママの名前、「実柑さん」は冬川さんの奥さんの名前だ。冬川さんは昔から奥さんのことを「みっちゃん」と呼んでいて、仲の良さが伺える。だけどうちのパパも、口数は少ないけどたまに今日みたいに仕事帰りにママを迎えに行って一緒に帰って来たり、休みの日に二人で出かけたりしているので、我が家も負けてないと思う。たまにうざったい時ももちろんあるけれど、パパもママも自慢の両親だ。

 冬川さんの奥さんも後から店に来ることになり、今日は久々に家族みんなと千紘くん、それに冬川さん一家を合わせて食事をすることになった。たまに行われる星の灯台での晩御飯会は、私にとって大切で一番幸せな時間だ。

 


 「千紘くん、晩ごはんはオムライスが良いんじゃない? と私は思うんですが、如何でしょう?」

 


 「またかよ! まあ良いけど。千歌恵、本当にオムライスが好きだな…。」

 


 「えへへ」

 


 こんな日がずっと続けば良いと思う。私がこれから大学生になっても、大人になって社会人になっても、もしかしたらママみたいに誰かと結婚して子供が出来ても、ずっと。そうしたら今度は私が子供を連れて……。

 (……千紘くんって、その時いくつなんだろう? 星の灯台は……。星の灯台は、いつまで、あるんだろう……。)

 


(続)