ゲームセンターにまつわる創作短編集「Home.」収録の小説です。
名もなき男女、人と人との一瞬の出会いを紡ぐゲームセンターという場所の物語。
サンプルページですがこちらのお話は全文公開しています。
例えば、毎朝同じ時間に乗る電車で必ず見かけるサラリーマンのおじさんとか、週末に買い物に行くスーパーでレジを打っているいつものおばさんとか、駅からの帰り道でたまにすれ違う明るい髪のお姉さんとか、「知り合いとまではいかないけれどなんとなくお互いに顔を見知っているであろう」人というのが、おそらく人生の中で誰にでも一人や二人はいると思う。
お互いに存在を認識しているはずなのに、実際にはそういう人と人生が交差する、知り合いになるということはほとんどなくて、やがてみんなふっとした拍子にまぼろしのように消えてしまう。
彼女もそうだった。
***
僕はゲームセンターに行くのが趣味だ。もちろん、ゲームをするために行く。
放課後に寄るゲームセンターで、毎月バイト代の半分くらいを使ってしまう。そして残りの半分は、おやつや漫画本なんかで消えてしまう。男子高校生は常に空腹で金欠なのだ。
僕が行くのは学校の帰り道にあるゲームセンターなので、当然いつもだいたい同じような時間に行くことになる。
するとだんだん「同じ電車のサラリーマン」のような関係性になる人が出てくる。
僕がゲームセンターに着くより先に格闘ゲームの椅子に座っていて、それからいつも一時間くらい遊んだところで帰っていくタバコをふかしたおじさん、週末の遅めの時間にやってきてギターのシュミレーションゲームで一緒に遊ぶカップル、そして隣町の制服を着た、僕と同じゲームでいつも遊んでいる女の子。彼女はいつも、自動販売機でチョコミントアイスを買って食べてからゲームセンターを後にしていた。
彼らがみな毎日ゲームセンターにいるわけではないし、もちろん僕だってバイトやほかの予定がある日もあるから、クラスメイトや家族のように毎日顔を合わせるわけではなかったけど、常連仲間とでも言うのだろうか、言葉を交わしたことはなくとも奇妙な連帯感があったように思う。
特に、僕と同じゲームで遊んでいる常連の女の子は、年も近かったし勝手に親近感を持っていた。最も、制服を見てそう思っただけで実際の年齢は知らないので、もしかしたら年上の先輩なのかもしれない。
僕たちが遊んでいたゲームは、リズムに合わせてボタンを叩く、そんなシンプルなルールだけどとても奥深い音楽ゲームで、そして彼女は僕が出来るよりずっと難しい曲をとても上手にプレーしていた。
内心、僕は彼女に追いつくことを目標にプレーしている側面もあった。
同じゲームがちょうど二台並ぶ店内で、友達同士でもないのに僕たちは、いつも並んでゲームをしていた。
そんな彼女がいつも最後にチャレンジしては、惜しくもクリア出来ずに負けてしまう曲があった。
その曲に特別な思い入れがあるのか、ひとつの目標としているのか、単純に負けず嫌いなだけなのか、真意の程を僕が知ることはないけれど、僕が彼女を見かける日、毎回必ずその曲に挑んではノークリアの青い画面の前で項垂れて、そして筐体の前から去っていき、自動販売機でチョコミントのアイスを食べてから出口へ向かう。
僕はいつしかその曲を聴くたびに彼女の顔とチョコミントアイスの味を思い出すようになった。逆に、自動販売機でアイスを選ぶときにその曲と彼女のことを思い出して、それまで見向きもしなかったチョコミントアイスをつい買ってしまうこともあった。
甘さと清涼感の混ざる不思議な味のアイスを食べながら、彼女があの曲をクリア出来る日が来ればいいな、そして僕もいつか追いつけたらいいな、となんとなく思った。
***
あの日はひどく冷え込んだ冬の日だったと思う。
外は雪が降りそうなくらい寒いのにゲームセンターは暖房が効きすぎているくらいで、体を動かすゲームをしている僕らは終始パタパタと顔を煽いでいた。
その日も僕たちは並んで同じゲームをしていた。後ろに他の客が並んでいないことを確かめながら、一時間ほど通してボタンを叩いていた。
自分のクレジットが一区切りして、隣の筐体からいつものあの曲が流れていることに気付く。彼女がいつも最後に選ぶ曲。今日もこの曲で締めて帰るのだろう。よく聞いてみると曲も終盤だ。
思わず見入ってしまった。今思えば知り合いでも友達でもないのに隣の画面をじっと見るなんて失礼だったかもしれない。
だけど彼女がいつも苦戦していた終盤のドラムのパートをクリアゲージを維持したまま乗り切ったとき、僕は小さく「あっ」と呟いてしまった。
曲が終わる。画面には「STAGE CLEAR」の文字。
「やった……」
彼女の声を、僕はあの時初めて聞いた。
「あ、あの……! おめでとうございます」
何も考えていなかった。本当に衝動のまま、声をかけた。
彼女がびっくりした様子でこちらを振り向く。
「あ、ありがとうございます……! ……いつも落ちるとこ見られてましたね、恥ずかしい」
「いえ、こんな難しい曲をクリアできるなんてすごいです、僕はまだまだなので……。あ、すみません、声かけちゃって。なんだか自分のことのように、嬉しくて」
すると彼女はにっこりと笑った。
「ありがとうございます。そんな風に言ってもらえて嬉しいです。……あ、プレーの邪魔をしてしまいましたね。では、私はこれで」
「あ、えっと、お疲れ様です! では……また」
「ええ、また」
そうして彼女は、いつものようにゲームコーナーから去っていって、自動販売機でアイスを買って、店を出て行った。
その後、変わらず彼女と何度か顔を合わせることはあったけど、特に仲が深まるということもなく、相変わらず僕たちは友達同士でもなんでもないまま、並んで同じゲームをプレーしていた。
やがて春になって、彼女はゲームセンターに現れなくなった。
***
時が流れて、僕は大学生になった。
ゲームセンターに行くという趣味は変わっていなかったけど、行く場所も、時間帯も高校生の頃とはすっかり変わっていた。
きっとあのゲームセンターにいた彼女もそうだったのだろう。同じ場所にいるはずなのに交わることのない人たちは、こうやってまぼろしみたいに消えていく。
僕は今でもたまにチョコミントのアイスを選んで買ってしまう。ゲームセンターで食べるアイスってなんでこんなに美味しいのかな、なんてどうでもいいことを考える。
そしてチョコミントのアイスを食べるたびに、彼女のことを思い出す。
もしかしたら市内ではないどこか遠い場所に進学したのかもしれない。或いはもう働いているのかもしれない。今でもゲームを続けているだろうか。
……彼女が苦戦していたあの曲を、僕も最近ようやくクリアしたことを彼女に伝えられたらな、と思う。それはきっと叶わない望みだろうけど。
***
その日は本当にたまたま高校の近くで用事があって、そのついでに高校時代に通ったゲームセンターへ足を延ばした。
機種のいくつかは新しいものに入れ替わったり場所が変わったりしていたけど、僕たちが並んで遊んだお気に入りの音楽ゲームは相変わらず二台並んでいたし、アイスクリームの自動販売機もそのままだった。まだ数年前のことなのに、ひどく懐かしく感じる。
時間もあるし少し遊ぼうと思って、先客がいることに気付く。洒落た雰囲気の女の人だ。その後ろ姿を見て少しドキッとした。
もしかして、もしかしたら。
隣に立って、ちらっと横目で隣をうかがう。その時、彼女と目が合った。
「あ」
「あ、……!」
互いに顔を見合わせて、しばらく茫然として、それから笑い合った。ああ、そういえば僕たちはお互いに名前も知らないんだった。
「お久しぶりです」
「お久しぶりです……!」
顔を見知っているだけの、名前も知らない、人生の上で交わることなくふっと消えてしまうまぼろしみたいな人たち。
だけどそんな人と人が、こんな風に交わる奇跡もあるなんて。
ああ僕は、こんな風に人と人とが巡り合う、ゲームセンターが好きなんだ。
(了)