9月の新刊の話

オタクの皆さん、大多数の方は「推し」がいるんじゃないかなあと思います。いるとかじゃなくてあるでもいいです。いるでしょ。いるよね?私はいるよ。

 存在自体がもうどうしようもなく大好きで、推しのことを考えるだけで世界が輝いて、この推しのために生きていると言っても過言ではないくらい生活とか心の大部分を占めていて、愛なのか恋なのか崇拝なのかもはやよく分からないくらいめちゃくちゃな感情を抱く「推し」…最高ですよね、推しがいる生活。

 
でも「好き」って感情ってとにかく厄介でデカくて重いんですよ。常人が扱えるもんじゃないと思います。
 
振り回されて、よく分からなくなって、いつしか不幸の原因になる可能性すらある。
推しが好きすぎて、夢見すぎて、勝手な理想や幻想で飾り付けて、推しだと認識していたこの幻覚のかたまりは一体なんなんだろう?と心の中にいつの間にか創り出してしまっていた怪物の正体がある瞬間からふっと分からなくなって怯えたり、逆にその幻覚こそ推しの本質であると信じ込むようになってその自分勝手な幻想を押し付け始めて、気に入らない点があれば「解釈違いだ」と喚いたり。(まあ大きな声で過激なことやコンテンツに対する攻撃じみたことを言う人はそういう行為自体に愉しさを感じる性質なのかもしれませんが)
或いは単純に膨大なエネルギーを必要とする好きという感情を扱うことに体力が追いつかなくなって疲れてしまうとか。引退、コンテンツの終了などその他諸々の不可抗力的な何らかの出来事によって気持ちの行き先がなくなって、やり場のない感情を持て余したり。
好き、という感情は幸福をつくることが出来るけど、不幸に転じてしまう可能性もある。好き=幸せじゃない。ただの人間が扱いきれる感情じゃないんですよほんと。
でも我々は神にはなれません。一生人間です。「推し」は、或いは神であるかもしれません。我々人間には扱いきれない感情をもたらす神。実は推しだってただの人間だったり情報の集合体でしかないのですが、だったらそんな推しを神と捉えるのはいつか罪に問われるのかな?それでも少なくとも私にとっては推しは神様です。私の神さま。
 
でまあ何やかんやそういう想いを燻らせていたりとか私が持っている好きとかそういう気持ちの価値観を1回ここらで言葉という形にして残しておきたいなとかそんな感じで「私の神さま」というタイトルの創作小説本を次のイベントの新刊で出そうかなと思っています。出そうかなっていうか私は出すっつったらどんな手段を使ってでも絶対本出すマンなので出します。出ます。インディーズガールズバンドのギタボ「樋廻(ひまわり)まひる」ちゃんと、そのファンの女の子「方波見(かたばみ)さよ」ちゃんのお話です。
好きという気持ちの価値観を形にしたいと言いつつただの自己投影にならないようにある程度はきちんと物語という体裁になるようにしたいなあと思います。さよちゃんはかなりお行儀のいい部類のファンだと思うので私とは全然違うし。
明確に伝えたいテーマがあるとか他人を感動させられるような答えを用意しているとかそういう感じのお話ではないんですけど、共感してもらえそうな人に読んでもらえたら嬉しいかな、みたいな本にしたいと思います。
 
導入部分の試し読みがこちらにあります。
書き換える可能性もありますがだいたいこんな雰囲気です。
 
そんな感じで。最近暑くなってきましたが頑張りましょうね。